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森村泰昌『なにものかへのレクイエム』展

森村泰昌 『なにものかへのレクイエム』

簡単に言っちゃえば
「20世紀の超有名な写真をソックリそのままマネする」

しかし簡単には済ませられないのが僕の性分なので…


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これはアトラクションではない

「ベトコンの処刑」
「オズワルドの暗殺」
「レーニンの演説」
「毛沢東」
「チェ・ゲバラ」
「アインシュタイン」
「三島由紀夫」

誰もが一度は目にしたことがあるであろう,これら20世紀のモノクロ写真を,森村は自らがモデルとなり,きわめて律儀に再現します。中には本物と見まごうばかりのリアルな作品もあれば,オリジナルの写真を知っている者にとってはプッと噴出してしまうような,ツッコミどころ満載のものまであります。すまし顔で歴史上の人物に扮する森村に,関西人ならではのユーモアを感じる ― 普通に鑑賞するのであれば,そういったアトラクション的要素を味わうだけでも十分楽しめる展示会だと思います。

しかし実のところ,森村はこの作品群によって,たいへん深刻な歴史意識を提示しているように思えるのです。




トラウマ的写真

今回,森村はいわゆる「報道写真」的なものを多くミミックしています。報道写真というのは,「そこで実際に事件があった」という疑いようのない事実性を担っているものです。たとえば「ベトコンの処刑」のシーンの写真は,「この現場で,この瞬間,この男が銃殺されたのだ」という強烈な現実感を当時のアメリカ人に突きつけたわけです。

また別の記事で詳細を述べますが,フランスの思想家ロラン・バルトは,写真のもつこうした特性を,「外傷(トラウマ)的」と定義し,以下のように述べました。

「外傷(トラウマ)とは,まさしく言語活動を中断し,意味作用を塞ぎ止めるものである。(中略)ショッキングな写真は,構造的にいって,無意味である。」(「写真のメッセージ」:『第三の意味』(みすず書房)所収)

まあ要は,「ベトコンの処刑」の写真に「説明」とか「解釈」なんて要らないでしょ,ってことです。キャプションとか構図とか歴史的背景とかとはまったく別の次元で,この写真は見る者に,まず最初にトラウマ的なメッセージを突きつけてくる。誰もがショックを受けるわけです。




僕らは20世紀を「知らない」

しかし僕はここで疑問に思うのです。バルトが写真について「トラウマ」なんてことを想定できたのは,彼自身が20世紀の「トラウマ」的な事件=大戦・ベトナム戦争・東西冷戦をリアルタイムに経験したからなんじゃないか(バルトは1915年生,1980年没)。僕らの世代は,大戦もベトナムも,学生闘争すら,実体験していない。僕らがそれを「知る」ことができるのは,メディアによって意味づけされバイアスをかけられた「作品」としてのみです。教科書(これだって立派なメディアです)でベトナム戦争を「知る」のと,横山光輝で三国志を「知る」のと,本質的な違いはないでしょう。もはや僕らには,純度100パーセントの「トラウマ」を追体験することなんてできないんじゃないでしょうか。僕自身,ベトナム戦争っていうと,真っ先に『地獄の黙示録』が出てきちゃうんですよ。



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ギリチョン世代

1951年生まれの森村は,そういう意味ではギリチョンの世代です。僕らよりは「知っている」が,「知らない」ことも多い。だから森村は『なにものかへのレクイエム』によって,単純に20世紀の出来事を21世紀に引用したのでも伝承したのでもない。むしろ出来事を徹底的にパロディ化(森村化と言ってもいいかも)することによって,「現代人はバイアスをかけられた状態でしか過去のトラウマを追体験できない」ということを示しているんじゃないか。そんな風に思うのです。

今回のポートレート的な作品(たとえば『パブロ・ピカソとしての私』)に,「~としての私」と題されているように,この「レクイエム」というイベントは個人的=森村的なものです。森村は,20世紀の歴史的人物に本気でレクイエムを送ることのできる,最後のギリチョン世代なのかもしれません。残念ながら僕らには,そんなレクイエムを送ることのできる20世紀がない。僕らにとって20世紀は,すでにメディアによって加工された「ドラマ」でしかないのかもしれません。





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コメント

そう。私たちが知っていることは全て「ただの情報」。

『僕らにとって20世紀は,すでにメディアによって加工された「ドラマ」でしかないのかもしれません。』

すばらしい表現だと思います。
他人によって美化・醜化されたこれらの事実は、たしかに「ドラマ」という形で陳腐化してしまったのかもしれませんね。そう考えると、真実をそのままの形でとどめいておくことの難しさが分かりますね。

Re: タイトルなし

はるさん,こんにちは。

歴史そのものの宿命かもしれません。どうしたって時を経れば「情報」なり「ドラマ」なりになってしまう歴史を,どうしたら子どもたちにリアルなものとして捉えさせるか。これは未曾有の「トラウマ的」世紀であった20世紀を伝えていく上で,深刻な問題にならざるを得ないような気がします。

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